『夜市』 恒川光太郎

夜市 (角川ホラー文庫 つ 1-1)夜市 (角川ホラー文庫 つ 1-1)
恒川 光太郎

角川グループパブリッシング 2008-05-24
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 さて、先日義実家に帰省した際にゲットしたうちの1冊。
 この作品の評判をさまざまなブログで読んでいて、すごく興味があり、いつか読んでみたいと思っていたらば丁度良い感じに目に飛び込んできました。
 そしてもう1冊はキャロル!いつの間に出版されてたんでしょう、全然知らなかったです。
 (田舎モンだからねぇ・・・しくしくしく)
 この3冊をゲットした本屋さん、規模はさほど大きくはないのですが、並んでる本が思いっきり私好みでございましたです。
 キャロルの創元推理文庫、『死者の書』からぜーんぶ揃ってたんですぜ!
 ありえないよありえないよ嬉しいよー。

 おっと本題からそれちゃった。
 久方ぶりのキャロルのダークファンタジーの感想はまた今度という事にして、『夜市』。

 第12回日本ホラー小説対象受賞作ですが、怖くありません(笑)。
 人を呪い殺す邪悪な幽霊も、狂っちゃって世界を血まみれにしちゃう殺人鬼も出てきません。
 ただ、なんというか・・・静謐な夜の世界に張り詰める、いいがたい畏怖、緊張感、といった怖さならばあります。
 そして、人間の心に巣食う後ろめたい部分の持つ怖さ。
 ホラーとちがうね、幻想小説というべきです。 
 
 いくつかの異世界が交錯して開かれる夜市。
 その市では、たくさんの怪しい露店が並び、とんでもない商品が取引されている。
 夜市自体が意思を持ち、選ばれた者しか入ることができず、買い物をしない限り元の世界には帰れない。
 そのルールの中で、子供の頃に夜市で買い物をした経験を持つ青年と、彼のガールフレンドが買えるモノを捜して彷徨う。
 青年は、子供の頃に野球の才能と引き換えに、幼い弟を人攫いに売ったのだった。

 文章は耽美に走ることも、登場人物の心理描写にかまけすぎることもなく、端正で、静か。
 物足りないといってもいいくらい(笑)。
 でも何故か切ないというか哀愁を帯びていて身にしみてきます。
 テーマが人間の罪を扱っているからか。
 そして夜市の中では人間はただの客、もしくは商品に過ぎず、その命は特別でも何でもないというスタンスだからか。

 ラストのどんでん返しは説明的過ぎるきらいはありましたが、それでも何となく余韻の残る、味わい深い作品でした。
 
 そして同時収録の『風の古道』。
 こっちの方はもっと身にしみました。
 桜の季節に迷子になった7歳の子供が、あやかしの通る謎の道を教えてもらって自宅に帰る。
 その話しを12歳になって友人にしたところ、夏休みで退屈していた友人が興味を持ち、謎の道を探すことに。
 稲荷様の裏からその道に入ることができた少年二人は、そこが人間が通るべき道ではないと知り、出口へ案内してくれるという青年についていくのだが。

 冒頭でおびえながら古道を歩く子供の描写で、私の大好きな筒井康隆の『遠い座敷』の階段状につながる座敷を思い起こしました。
 日本人の心に根付いている、不可解で恐ろしいモノ、タブーといった存在への意識を本当に上手に描写していると思います。

 そして本当に切ないラスト。
 少年が少年でなくなり、大人になる通過儀礼とでもいうべき悲劇。
 こういう物語が最近は少なくなっているのでは・・・?
 『夜市』ではすこし物足りなく感じた人間描写も、こちらではそう思わせられることもなく、一気に物語世界にひきこまれていました。

 現代の泉鏡花というと褒めすぎかしらん。
 ああいう、和風で切なくて人間が超えられない禁忌を描いた幻想小説がお好きな方はご一読いただいても損は無いです。
 そして、私は多分この作家さん追っかけます!   
 

いつか、懐かしむであろう一日

 本日から主人は泊りがけで出張。
 というわけで、晩御飯は作らないことに決める(爆)。

 チビ2匹をつれてバスに乗り込み、銀行と郵便局へ。
 そして再びバスに乗り込み、ショッピングセンターへ。
 
 バスに乗ると整理券を取って、降車ボタンを押すことに命をかけている息子だが、本日は他の乗客に先に降車ボタンを押されてしまった。
 以前ならば、パニックを起こし「僕が押したかった、僕が僕がぁ〜〜〜!!」と泣き叫び、バスを降りようとせずに暴れまわった息子だが、今日は違った。
 「他の人が押した!」と少しパニックを起こしかけたのだが、一応自分も後からボタンを押したことが納得できたのだ。
 ピンポーンという音は聞けなかったけれど、「僕ボタン押したからね、よかったね」と自分に言い聞かせるようにしゃべり続ける息子。

 バスを待つ間自動販売機で子供らにサイダーを買ってやったのだけれど、欲しがる妹に自分から「はい、ハナちゃんの番」と渡してやることもできた!

 そしてショッピングセンターへ行き、フードコートで大好きなマクドナルドのハッピーセットを食べるチビたち。
 4歳児と2歳児がお行儀よく大人しく、一生懸命ナゲットを食べ、ポテトを食べ。
 いちいち食べさせてやる必要がなくなって、本当にラクだなぁーと感慨深い母。

 我が家があるのは田舎であるが、海が売りの昔からのリゾート地。
 お盆休み週間に入って、近隣で最も大規模なショッピングセンターであるそこは、帰省した家族連れや行楽客で普段の月曜日からは考えられない位大勢の人でごったがえしていた。
 おそらく以前の息子ならばそれだけで泣き出してしまっただろうに、落ち着いて食事ができるし、手は自分で洗うし、「これゴミ箱に捨ててきて」と頼むと捨ててきてくれるし。

 のんびりランチを楽しんでおもちゃ売り場でチビ共を遊ばせる。
 私から少し離れただけで金切り声を上げる息子だったが、最近は、最初のうちは「ママー」と普通の呼び声を出すようになった。
 おかげで、チビ共が好き勝手うろつくおもちゃ売り場でもさほど恥かしい思いをせずに息子の位置を確認できて、パニックを起こさせずに済んだのだが・・・。
 娘が迷子に!!

 娘は気に入ったおもちゃの前から離れない子で、そのうえ大体私のいる場所を自ら確認しては安心して元の場所に戻るという、1歳児にはあるまじきおりこうさん(親バカです)だったので、つい安心して離れた場所にあるレジへ行ったのである。
 ところが。
 お盆フィーバーで、レジに行列が!!(普段ならぜったいありえなーい)
 結構時間がかかってしまい、慌てて娘の居たはずの場所に戻るといないよーーー!!(顔面蒼白)
 必死でそこらを走り回り、息子の手を引いているとじれったいので、子供用のカートに息子を乗せて娘の名を叫びながら走り回っていると。
 5分後、フツーの顔してぺたぺた歩いている娘発見。
 おまえさんは涙の一つも見せんのかい!?
 私たちを見つけて、「ママ、にぃに、いたー」と笑ってるよ。かくれんぼしてたつもりらしい。
 2歳になって、あんたも成長したんだね・・・でもどっちかいうと、今までのまんまで良かったんだけどね・・・。

 それからも息子は、今までならば娘を押しのけて自分がカートを占領していたのに、「ハナちゃん、乗って」と娘の肩を優しく押してやりながらカートを譲ったり。
 今までのことを思うと、か、考えられません!お盆だから誰かカシコイご先祖さまの霊でものりうつったのかしらん??

 帰宅途中のバスの中で娘は寝てしまい、私は買い物と寝ちゃった娘と合計20キロの荷物(重いよ〜)を持ってえんやこらやとバス停から5分ほどの道のりを10分かけてたどった。

 夕立が降ってきたので、息子とベランダで雨を眺めた。
 薄明るい中での夕立で、激しい雨粒が地面ではじけて明るい霧になり、電線のしずくはキラキラした水玉になり。
 息子は「雨、きれいねー」を連発。
 しまいには「僕、雨ばらばらになっちゃうの歌歌うね」と、オリジナルソングを歌い出した。
 基本のメロディラインは「雨降りくまのこ」。
 それではお聞き下さい、うちの息子が歌う「雨がばらばらになっちゃう」の歌。

 ♪雨がどしゃぶりふってきてー、いっぱい車が汚れちゃうー、洗車機で洗ったばっかりなのにー、雨はどんどんふってきてー、つめたいいっぱい雨でしたー頭にはっぱをのせたらねー、みんなが風邪ひいてくしゃんくしゃん♪ 

 そのあと「お家の歌」も作ってくれました。歌詞の内容は冒頭の「雨でお家がぬれましたー」を覗きおんなじ(笑)。
 まぁ、定型発達の子供ならば何ということも無いのでしょうけれど、母は本当に本当に嬉しい思いでいっぱいだったのだ。
 なんたって、2歳半で「パパ、ママ」もおぼつかない、3歳半でも言葉はオウム返しが殆どいう発達遅延ぶりだったんですから・・・。
  
 と、しみじみしていたらば。
 昼寝してた娘が目を開けた。
 起き上がらない(汗)。
 しゃべらない(冷や汗)。
 とろんとしてる(滝汗)。
 ぐずりもしない(怒涛の滝汗)。
 おかしい!
 体が熱い!
 こ、これは熱中症!?

 しまったしまった、ずっとショッピングセンターの中にいたし、うっかりしてたよ!
 そういえば、ハッピーセットにつけたクーの白ぶどう味が気に入らなかったみたいで半分以上残してた!バスを待つ間、自動販売機でサイダーを買えとうるさかったのだけど、一度買ってやったし、家に着けば飲ませてやるからと我慢させたんだった!
 やばいやばい、水分全然足りて無かったんじゃないか!!
 
 抱き起こしてもぐったりしてるし、反応がにぶい。
 あわててコップに水を入れて、ストローを差して持ってくる。
 意識が朦朧としてる時に、無理に飲ませちゃいけないんだったか?病院につれていくべきか?ああもう主人が留守の日にこんなことに!!
 ぐるぐる妄想が回り始める。
 が。
 水をごくごくと一気飲みした娘。
 おかわりは、糖分もあるからとサイダーを。
 それもごくごく一気飲み。
 もう一杯ほしいというので再びサイダー。
 
 「ふっかぁあぁぁーつ!!」 

 いきなり立ち上がって、ぴょんぴょんはねる娘。
 「サイダー、おいちかった!ねー♪」ですと。
 「ハナちゃん、わくわくしたねー」
 「ママも、わくわくしたねー」
 しゃべりまくり。
 あのねー、そこの2歳児よ、日本語間違ってますよ。
 母はわくわくじゃなくてはらはらしたんだよ!

 息子にしみじみさせられ、娘にはらはらさせられ、ショッピングセンターで買って来たお寿司で晩御飯を済ませて、一日が終わりました。
 
 いつか、きっと懐かしくそして少し寂しい気持ちで思い出すんだろうな・・・。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

ひとりでは生きられないのも芸のうちひとりでは生きられないのも芸のうち
内田 樹

文藝春秋 2008-01-30
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 最近ようやく心身ともに状態が落ち着いてきたせいか、読書欲がやっと沸き起こってきました。
 義実家滞在中に書店を覗き、数冊購入。
 平積みで目に付いたのがこれ。
 以前黒とぐろ大魔神ぷぅさんのサイトで書評を見かけて気になっていたんですよね。
 
 本当に!まえがきを読んだだけで、昨今の風潮に対して抱いていた胸のもやもやがすっきりしました。
 ああ、その通りですねぇーと。
 上から目線で「昔の日本は良かった、現代のような犯罪も無かった。今こそ昔のような良き共同体、相互扶助の精神を見直そう!」などと言われると「そんなん、今ほどメディアが発達してないから犯罪が報道されなかっただけ、第一戦争で明日のわが身もわからなかったような時代よりよっぽどいいやんか」と言い返したくなるのですが、こういう風に語られるとすとんと腑に落ちます。

 ことに「おお!」と膝をポンと打ってしまったのが、「不二家」化する日本と育児戦略の章。
 母親と父親では子育てのモードが違う、それは母親は胎内にいるときから我が子を育んできた実感から子供を弱者とみなし、群れの中で普通に育つことを要求し(群れの中にいれば、外敵から捕食される確立が下がる)、父親は群れの中での競争に勝ち残ることを求めるという。
 最近は育児に熱心に関わる父親も多いようだが、我が家の場合をみてもそうであるが、男親が我が子を「かわいい」と実感するようになるのは、子供が言葉を話すようになりコミュニケーションがとれるようになってからだということが多い。
 ここで、男モデル女モデルを立ててみて、対立させるのではなくて、子供を育てるためには、どちらのモードも必要である、と語る著者の姿勢が好ましい。
 私は単純な人間よりも複雑な人間の方が好きだ。
 世の中のことを、自分の好ましく思う法則性のみで語る人間は浅いと思う。
 世界は広く、一つの方向から全てを語りつくすことなどできない。
 それは傲慢でしかあるまい。
 二枚舌の人間は軽蔑するが、二枚舌の下に三枚目、四枚目の舌を持つ人には敬服に値する。
 
 いんや、ほんとに読んでみて面白かったであります。

63年前の母(広島原爆投下時)

 今から17年前、まだ母がしっかりしていた頃に、原爆投下時の状況について綴った文章があるので、ここに転記します。母は当時16歳の誕生日を1ヶ月後に迎える少女でした。

 「私のあの日」

 (冒頭部省略)

 今ここに四十五年目を迎え、遠いあの日を振り返って見る。はっきりと覚えている。何も無い時代だったが、私は希望に燃える日本赤十字の看護生徒だった。
 その日、私は広島市の赤十字病院にいた。警報が解除され、ほっとした私はボタンを付けようと針に糸を通した瞬間、窓の外で物凄い何かが爆発した様に思った。どうなったかはわからないが気がついた時には、真っ暗な中に閉じ込められ、頭の上で足音がしていた。
 窓の側にいたのに、5メートル位飛ばされて扉がベッドに倒れた隙間にいた。どれくらいかはわからないが、随分長居時間が経ったように思った。腕時計は投下時刻で停まっていた。怪我は、手と足に気にもならない程度の切り傷。但し、これは五年余り完治しなかった。
 やっと誰かに助け出された時、何と糸を通した針をしっかり持っていた。後日友達に話して大笑いした。 明るくなった病院の玄関に行くと、当時入院中の、陸軍高官の子息に付き添っていた軍曹に声をかけられた。顔が黒人の様に真っ黒で大きくふくれ、目と唇の粘膜がめくれあがっていた。呼ばれても怖くて、「誰か呼んで来ます」というと、軍曹はその場で倒れて動かなくなった。
 次に見たのは、予防衣を被った上級生で、「どうなさいましたか」と声をかけると、顔はひどい外傷で一杯。どうしていいかわからず、座って貰い外科へ行ってみたら先生が倒れておられた。
 火傷の薬をつけて欲しいと言われたが、薬棚はひっくり返って瓶も我、硝子の粉だらけで薬はとても使用に耐えられる物ではなかった。そこへ元気な先生が見えられたので、バトンタッチー。
 私は崩れた院内を宿舎の方へ向かった。すると、比較的破損の少ない処で怪我をした生徒達が集っていた。仲良しが出血している手首を抑えていた。止まらないというので、カーテンを破いて来て、漸く何とかなった。
 病院で入院中だった軍医が、輸送車を使って外傷のある者の縫合を始めたので手伝う。
 麻酔も何もない。怖いなどと言っておられず必死だった。丁度出勤時だった為、日赤職員は被害が大きく働ける者は、僅かであった。各人各様のさまざまの惨い怪我、外傷、とても筆舌には尽くし難い。思い出すと、最も恐ろしかったのは、顔が斜めに裂け、割れてと言うべきだったろうか、今なら近寄る事すら出来ない様な凄い傷。日が経つと膝の傷にも蛆が沢山わいて来て・・・・・・よく耐えておられたが、何年か後に自殺されたと聞いた。
 何時間が過ぎたか、夕方だったのだろう、ぺっしゃんこになった宿舎の側を婦長さんが裸足で泣き叫んでおられる。周囲の建物は潰れたり焼けたりして、近くの川が見える様になり、橋の上は両方から来る人達で一杯だ。
 そのうち寄宿舎が燃え出し、元気な者は病棟で、火たたきを持って消化に当たった。雨が降り出したのはいつ頃だったか。防空壕に逃げ込み、友達と泣いたのを覚えている。
 玄関では、大勢の一般の怪我人や、火傷を負った人々が、「水、水」と言いながら倒れている。破裂した水道管からヤカンに水を汲み、顔や口にかけて廻る。すると殆どの人が、そのまま息絶えて行かれたのである。
 そして夜中、私も頭を打ったせいか熱が出て動けなくなる。患者さんが頭を冷やしてくれたらしい。もうろうとした意識の中、私のあの日は終わった。
 明け方、目が覚めるとカーテンの切れ端が顔の上に乗っていた。そして、多くの動かなくなった人々のなかに私はいた。もがくようにして私はやっと起き上がる事が出来た。
 その時から、また凄まじい日が始まる。あの日を思い出す度、鮮明に目に浮かぶのは、乳房の無くなった若い女の人の真っ赤な胸。よく写真を撮って貰った小父さんが酷い火傷の両手を庭の隅の木の枝に吊るして寝ていた姿。トタンの上に亡くなった友達を並べて火葬した事。色々ときりがない。
 もう決して再び、あの様な悲惨な事は断じて有ってはならない。人生も残り少なくなった今、クラス会で集まる友らと話し合っている。風化せぬ様、世の中に啓蒙して行かなくては、と。
 
 
   

見失う怖さ

 今日のお昼、いつものように息子の療育教室でご飯を食べる前のトイレと手洗いに息子と娘を連れて行っていると。
 Y先生がトイレから出てきた私たちに、
 「S君いない?」
 と聞いてきた。
 「S君?いいえ、いないですよ?」
 と答えると
 「いなくなっちゃったんだ、どこへ行ったんだろう」
 と階段を下りて探しに行かれた。
 
 今日はいつもよりかなり人数が多く、そしてお昼ご飯を食べるのがうちの家族だけで、教室が終わった後の靴箱前は帰宅準備の子供と大人でごった返していた。
 S君は、その混乱をよそに、帽子も被りリュックもしょって帰宅準備万事オッケー状態だった。
 私はトイレに行くため、娘に靴をはかせながら、
 「S君、今日はお昼食べないのね〜、バイバイね」
 と話しかけたのだが、そこから先は娘にかまけてそれから彼がどうしたかは確認していない。

 S君はうちの息子と同い年だが、まだ言葉を明瞭に話せない。
 しかし、以前住んでいたところで単独通所型の通園施設に通っていたので、一人で決まった道を歩くのは得意だ。
 S君はお母さんと妹と一緒に教室に通ってきているのだが、お母さんが私と同じくペーパードライバーなので、帰りのバスは一緒になることがある。
 私から絶対に離れない、典型的な母子分離不安型の息子と違って、S君はゆっくり歩く妹に合わせるお母さんからどんどん離れてバス停へ一人で歩いていってしまうのである。

 おそらく、今回も妹さんにお母さんが靴をはかせている間に、さっさと一人で歩いていってしまったのだろう。
 彼の場合は多動というよりも、単純に大勢の人の中で親と妹の姿を見分けられなくなってしまい、先に行ったかもしれないと判断して歩き出したのだと思う。
 うちの息子もそうなのだが、発達障害の子は、集団の中から特別な一人を見つけ出すのが苦手な場合が多い。
 
 心配しながら、お昼を食べる支度をしていると、今度はF先生がS君が教室に戻っていないか確認に来た。
 いないとわかると、すぐに引き返して探しにいった。
 かなり血相が変わっていたので、こちらも本格的に心配になる。
 息子と娘も「S君、どこにいったの?」と心配しはじめる。
 ご飯を食べ終わったら一緒に捜しに行こう、と約束してお昼を始めたのだが、先生たちはなかなか帰ってこない。
 食べ終わる寸前になって、ようやく教室に帰ってこられた。
 バス停とは逆方向の、信号を渡った先の大型スーパーの駐車場へ向かう道で発見されたそうだ。
 その日はバスで帰宅ではなく、お父さんが車で迎えに来ることになっていたそうなので、車がたくさんいそうな場所を目指して歩いていたらしい。
 うーん、賢い!うちの息子にはできない芸当だ。
 
 一安心して思ったのだが、どうなのだろう、息子は私にべったりで私の姿を見失うとパニックになり泣き叫ぶので、どこにいるかすぐ見つけられる。
 親としては安心ではあるが、この先の見通しのことを思うとS君の一人歩きは頼もしく思える。
 また逆に、私はS君のお母さんのように、息子を一人で視界から外れるまで先を歩かせることはできない。
 万が一のことなどをすぐに心配してしまうからだ。
 見失う怖さから逃れられそうに無い。

 来年から幼稚園だが、母子通園型のところに通わせようと思っている。
 息子程度の障害なら、おそらく地元の幼稚園でも受け入れてくれるだろう。
 定型発達の子らの間で、目覚しく成長する可能性もある。
 だが、私の目の届かないところで息子がいじめられたり、冷たい仕打ちを受けたりしたら、と思うと耐えられない。
 小さな子供のうちは、できるだけ世界はバラ色のままにしていてやりたいのだ。
 自分自身の幼かった頃の記憶が、そう考えさせるのだろうか。 
  

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