ここのところ、日記がmixiがらみばかりになっておりますが。
読んでくださる方には殆どがちんぷんかんぷんでごめんなさい(ぺこ)。
しつこいんですけど、自分でコミュに書き込んだコメントの一部をここに転載します。
この気持ちを忘れないようにしたいと思ってるんで。
(前略)
ところで、このトピで何度も繰り返されている、「障害を受け入れること」をドクターが要求するのは、諦めろ、ということか?という問いですが。
私は、それは「諦めろ」という意味ではなく、「子供の人格を守りなさい」という意味だと思います。
親が「この子の障害さえなければ、社会に出ても安心なのに、子供が将来苦労するような障害はいやだ」と思ってしまうと、子供が同じ風に考えるからです。
「私がこんな障害を持っていて、お友達と違うからママが悲しむんだ。ママ、こんな障害を持って生まれてきてごめんなさい、私が悪いんだね」って。
親が障害を子供にとってマイナスなこと、と捉える限り、子供も自分の障害を受け入れられず、憎むようになります。
それでは自己肯定感や自信は育ちません。
根本的に自分への肯定がなければ、どんなに療育で個別の能力が成長したところで、社会にうまく溶け込めないのです。
子供のためによかれ、と思って活動していることが逆に子供を置いてきぼりにしてしまわないように、まず、子供の要求に耳を傾けることが大事なのだと思います。
少なくとも、まだ起きていない犯罪や事件を心配しつづけるよりも、自分亡き後も、子供の笑顔、大好きなことをして輝くようにはしゃいでいる姿を想像する方を私は選択します。
親亡き後の人生は、子供のものです。
ならば、「苦労の種をとりのぞく」ことに心血を注ぐよりも「苦労にあっても、立ち直る明るさ」を子供の中に育てる方が先決なのでは、と思います。
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ジーンときたね。カッコイイ。
すごく同意します。
そっかー・・そうだよねー。←ジーンとしている感じなの。
私のケースだと、母の方が辛かったんだろうな と思います。
私と同じ歳の従姉達とを比べて泣いていた母の気持ちが、今なら理解出来ます。
親としてそれはちょっとひどいんじゃない? とも思いますけど(笑)
でも、自分より母の方が辛かったと思えてるのは、母のおかげだと思ってますよ。
うちも多少気になるところはありますが、ただひたすら穏やかに健やかに、育ってくれるように願っています。
気持ちは痛いほどにわかるものの、どこか違うんじゃないかなと感じていましたから。
母が亡くなったら、私が兄の面倒をみるのだと思っていました。今思えば無謀な計画なんですが。
母は兄を掌中の珠として愛しぬきましたが、兄の思いはどうだったんだろうか、などと思ってて。
親の愛は呪縛です。
どうしても呪縛になるなら、せめて明るい希望の鎖にしてやりたいの。むずかしいね。
子供はどうしても親の反応や表情を感じ取りますから。
私は子供の頃、どうしてお母さんはいつも怒ってばかりなんだろうと悲しかったおぼえがあります。
毎日元気に笑っててくれればどんなにいいかと。
ちびとらちゃんは、るるるさんのブログ読んでいても本当に愛らしくてやさしいね。
うちも息子の方が優しいですよ(笑)。
アタシは、そういうのが分からないんだなー・・・。母の愛。
どんなのかなー?とかも想像もつかないっつーかね。
なかさんのママは、息子様を見送ったんですね。
辛かっただろーな・・・って思うのは違うんですねママ的に。
だって、一日でも長く生きたかったんだもんね。
本当にね・・・。息子様だって、そう思ってたかもしれないって事なんだね。