透明なこころでありたい

性懲りもなく。

 またか~、とお思いのみなさま、そしていいかげんうんざりしてる自分。
 今度こそ、今度こそがんばってみます。
 期間限定。100時間トライアル。
 ゴールは今週金曜の夕方です。
 それまでに、どれだけ家の始末ができるか!?

 玄関のぐちゃぐちゃを、ダイニングテーブルの無法地帯を、寝室の洗濯物の山を、未だ入れ替えできない冬物の数々を、そして魔境部屋を、どこまでどうにかできるのかっっっ!!

 今週土曜日は息子の幼稚園の運動会、明日は言語療法の予約あり。
 寝て、食べて、だらけてる時間をどれだけ減らせるか、やってみる所存です。
 戦況は随時ツイッターでつぶやく予定。

 では、とにかく、匍匐前進してみますぞよー。

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本人ピンと来ていないみたいだが

 前に日記でも書いた、幼稚園ママ友さん。
 最近は他の保護者と時間を共有するようになってくれました(特に誰かが何かをした、というわけではないです)。
 それはそれで良かったわけです。
 が。

 我々年長組の保護者は来年の就学に備えて送迎時以外の時間は母子分離。
 帰りの時間まで、保護者控室で過ごすことが多いです。

 で、必然的に年長組の保護者ばかりで長い時間を過ごすことがあるわけですが。

 もう、一人だけ感覚が違う。
 他のママさんたちとも「それは~~じゃない?」「○○君もわかるようにメリハリつけてあげないと」とかアドバイス的に(押しつけがましくはなくですよ、あくまで「私はこう思うよ」とか「こうじゃない?」という言い方)などと言うんだけど、ものすごく受け取り方がズレてる。

 息子がパニック起こして暴れるような対応をわざわざしてるとしか思えない時もあるし。
 担任の先生の対応をみて、真似すればいいと思うのですけどねー。
 かと思えば息子が問題行動をとった時、「ごめんねー、うちの子ストレスたまってるから許してねー(見逃してね)」的発言をしたり。
 いや、親が叱ってはいけないということと、黙認してもいいってことと違うんだけど!!
 てゆうか、「そこはちゃんと叱ろうよ」と言う時に黙認する、「そこは○○君の主張を聞いてあげようよ」と言う時に一方的に叱りつける・・・。
 なんか今日、午前中一緒におしゃべりしてて、疲れた・・・この人、息子をかわいがってるけど、息子を愛してるのは間違いないけど、息子のことを理解しよう、わかってやろうとする姿勢が無いって思った。
 自分の息子がどういう特性なのか全然知らないみたいだし。

 発達障害にしろ、他の障害にしろ、個性の範疇を超えてハンデを持っている子は、ことさらに親の観察力が要求される。
 「こういう子になってほしい」「こういうことはしてほしくない」「周囲から向けられる偏見がつらい」「この子の将来が心配」とかいう親の思いは本当に当然だけど、その前に親が一番肝に銘じてなきゃいかんこと。

 でかい字で書くよ。

 目の前の子供をみてやれよ!パニックしてる時も、いい子にしてる時も、曇りない目で自分の子供を見て、理解しようとしてやれよ!親がやらなくて、誰がやるんだよ!「うちの子はこうだから」って、言葉のアヤで言うならいいけどさ、そうじゃないじゃないか。決め付けるんじゃない!(怒) 

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ついに始めてしまいました。

 Twitterと書いてつぃったーと読む例のやつ(笑)
 アカウントお持ちの方、よろしくどうぞ~。遊んでやってくれると喜びます。
 PCのみからのアクセスなんであんまりつぶやいてませんけど。
 ここのHNのまんまで登録してます。

なんかもうよくわからんが。ひとりごと。

 息子もいよいよ就学相談が始まりました。
 本人も親もぼーんやりしてますが。はは。

 一応、発達障害の息子の将来像のモデルを探して色んなブログやらサイトを覗いたりしている母ですが、その中の一つに「ちょっと反感あるけど、理屈はたしかだな」と思えるブログがございまして。
 そこの管理人さんと友達になりたいとは思えないけれど、文章はなるほど。と思える説得力があります。
 で、その方はスピリチュアルな世界の方ともつながってまして、リンクとかたどっていくと、わらわらいるんですね、そういうスピリチュアルで癒しな世界で商売されてる人って・・・。

 占い師とはまた別な観点なのでしょうか。
 宗教とも違うんでしょうか。
 スピリチュアルとか言われてもようわからん。
 神社にお参りもされるようだが、天使の言葉とやらいうのもあり、キリスト教もまじってんのか?
 なんでもありか?
 最近はハワイのホ・オホノボノとかいうのも流行りなんでしょうか。
 ともかくも、こんだけ混沌と貪欲にあらゆる文化・宗教的要素を自分の人生に都合よく解釈して、他人を変えずに自分を変えようと意識革命するのって、上っ面な気がするんですが。
 とか思いつつ、くだんのブログや、そこからたどったブログなどには、某有名スピリチュアリストの著書なんぞよりもよーーーっぽど血肉に染みいる言葉が流れていたりする。

 自分の「それらしく基本土台がしっかりと構築されている理念」志向ってのも、ひょっとすると頑ななのかもしれない・・・大体政治家もマスコミも無能どころか失笑ものの昨今、一見あやしげなまやかしに見えるものだって本当に力があるのかもしれない。そういう風に世界がまるごとシフトしていくのかも知れない、なんぞと考えてみたりもします。
 だらだらのゆるゆるの、得体のしれない雲のように集っては形を崩し、また形をつくって・・・てな、流動的にずるずる動く世の中が、これから来るのかも知れないな。
 きちんと枠を作って、という段取りを飛ばしてあらゆる情報を得られる時代なんだし。
 それが自分の好みであるかどうかは別として。

 それにつけても宮崎県の悲劇は他人事じゃないと思う・・・私の住むところも畜産がさかんなところだから。
 ネット記事ではえらくえげつない裏工作があったようなのだが。泣くのは力の無い民草のみなのかいな・・・。

息子語録:○○○のよだれは・・・

 最近の息子はますます天然ボケが進み、周囲から失笑を買ってばかりの毎日である。

 先日、相棒が一人で息子と娘を連れて近所のホームセンターへ買い物に出かけた。
 親の姿が見えなくなると必死で「ママー、パパー!」と大声で叫んで自分の居場所を知らせてくれる息子に対し、娘の方は自分の興味のある売り場にとっとこ走って行き、好きな商品を座り込んでじっと見ているため、目を離したら最後、姿を見失ってしまう。
 よって、相棒は娘をぴったりマークしており、商品陳列棚の間をうろつきまわる息子にはあえて構わないでいた。

 と、父親と妹の姿が見えないことに気付いた息子が、サイレン(とは言え、最近は以前のような金切り声ではなく普通に親を呼ばわる大声になりました。素晴らしい成長の証です:感涙)を鳴らし始めた。
 
 「ママー、ママー、ママー!どこにいるのー?!ママー!」(※本人必死)

 ママ???

 相棒が、「ぴよ蔵、こっちだよー」と呼びかけると、息子は。

 「ママー!!・・・・・(と駆け寄ってきて)あ、今日はパパと来てたんだったー
 とのたまったそうな(汗)。
 周囲にいた人たちが大笑いしていたそうです。

 そんなボケボケ息子の最近のつぶやき。
 ある日何の脈絡もなく、突然に。

 「ねーねー?ち☆このよだれっておしっこ?? 
 と問うてきよった・・・・・。

 あああ・・・赤ん坊の頃、オムツを取り替えるたび、泣く息子に対して「あーもうこの子は目水(涙のこと)鼻水、ちん☆水(おしっこのこと)を垂れ流してからに~」などと話しかけていたこの母が悪かったのか?そうだろうな・・・。

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とめどないひとりごと

 カットグラスのドアノブ、というものにかなりの執着がある。

 子供の頃習字のお稽古に通っていた。
 先生のお宅は外見は和風だったのだけれど、二階に特徴的な丸いステンドグラスがはめ込まれている和洋折衷の家屋だった。
 ドイツ人が建てたものだったという。
 書道教室は二階の続きの和室。
 たくさんの子供たちがそれぞれの机に正座して習字を稽古していた。
 この部屋はごく普通の和風のしつらえだったのか、あまり私の記憶には残っていない。

 印象的だったのは、玄関を入ってすぐの階段。
 先生は中年の奥さんで、そのお母さんが階段の横でお習字に必要な半紙や墨を並べて売っていた。
 階段の奥はプライベートな台所などの空間で、我々子供には興味も無い場所だったが、階段が普通の家のものと違うのは明らかだった。
 黒光りして艶やかで硬い、一枚板の階段。本格的な腰板。
 余分な装飾はないが、洋館風の手すりだったと思う。

 黒い腰板と階段と手すりに導かれた二階が、お稽古場であり、その隣の扉の奥が中学生になる娘さんの個室だったが、その個室の前に赤と青、緑色の丸いステンドグラスがはめ込まれていた。
 お稽古にあがるたび、ステンドグラスから差し込む光にうっとりしていたことを覚えている。

 さて、ガラスのドアノブ。
 その階段の手前に、硝子が嵌め込まれた可愛らしい白い扉があった。
 そのドアのノブがクラシックな硝子のノブだったのだ。
 カット部分は綺麗にエッジがたっていて、いかにも美しい細工だった。
 そして、その扉のガラス越しに見える部屋は応接間で、ソファーには白いレースのカバーが掛かっており、ゴブラン織のクッションなどが置いてあった。
 応接間の南側にはサンルームがあったようで、明るい時間にお邪魔した時は、部屋中に光が満ちていた。

 大好きなイギリスの童話の中に出てきそうな部屋で、階段を通る時はその部屋をいつも覗いていた。
 最初はしげしげと覗き込んでみたのだが、売り子役のおばあさんに注意されて以来、通りすがりにそっと覗く程度にした。
 時々は豪華な花束が活けられているのが窺えたりして、本当に物語の世界の向こう側に通じる扉のような気がしていた。
 未だにあの部屋のような空間への憧れ、扉の向こう側の世界への憧れが消えない。

 もうひとつ。
 小学生の頃、英語教室に通っていたのだが、それは阪神国道バスと神戸市バスを乗り継いでいくところだった。
 丁度乗り換えのバス停が御影公会堂の前だった。
 寒い冬の夜など、次に来るバスを待つ間にトイレをよく借りたものだった。
 だけど、これが古い建物特有の暗さと広さでもって、怖い場所だった。
 けれど、ここのトイレもドアノブがガラス。
 そのドアノブの美しさと中の和式便座のギャップが不思議な気がしたものだった・・。

 この公会堂には、私のトラウマになる出来事があった場所なので、余計記憶も深いのだと思う。
 自分自身がそんな家を管理できる才覚など毛頭ないのだが、いつか死ぬまでの間、クラシックなガラスのドアノブが、真鍮の鍵穴が、よく似合う古い館に出入りできるようになればいいなあ、と未だ憧れている。
 その場所が公共のものでも、博物館でも構わない。
 ガラスのドアノブのついた扉の向こうに、わたしの幼い頃の幻想がいっぱいつまっているのだ。

闇の中で放たれる崩壊の光芒

 ひきつづきひとりごと。
 
 随分幼いころから、破壊願望があった。
 破壊願望というより破滅願望だろうか。
 子供の頃の夢の記憶などをたどるとそうとしか思えない。

 ただ、個人的体験として阪神淡路大震災が私に及ぼした影響は大きい。
 あの強烈な経験が、それまでの夢想にすぎず、淡く甘い幻想の破滅世界への憧れを根底から叩き潰してくれた。
 さらに結婚し、子供を出産し、育てる生活の中で破壊衝動は何度か現れたが、現実のあわただしさ、専業主婦生活の中では忌むべきものでしかなく、自分の中の負の部分として、無意識に抑圧してきたのだった。
 
 この世に生まれてきたものは全て、この世で終わりを迎える。
 
 そのことについて思いつめたのは小学校の2年生の頃だった。
 宇宙の図鑑を見て、この地球の寿命は何億年もあり、やがていつか死期を迎えて膨張した太陽に呑み込まれてしまう、ということを知り。
 ああ、その地球の最後を絶対に見てみたい、と熱望した覚えがある。
 死んでもいいから、その光景を見ていたい。
 私は石だったらよかったのに。石だったら死にはしないから。
 幽霊になってもいい、地球のおしまいがどういうものか知りたい。
 
 だから小学校2年生のころは、生まれ変われるなら不死である吸血鬼か石がいい、なんて思ってた。 
 
 自分の中で飼いならすしかない、火を吐く蛇は。
 この破滅衝動と等しい存在なのだろう。
 
 蛇は、だから、暗闇の中で浮かび上がる、はかなげな光が好きだ。
 エンデの「鏡の中の鏡」が好きだ。
 巨大な棺を納める場所のような、天井の高い空間が好きだ。
 黒一色で作り上げられた劇場、ルナ・ホールが好きだ。
 カツン、カツン、と靴音が響く迷路のような小路が好きだ。
 ダリの記憶の固執の遠方の明るい海が好きだ。

 モンス・デジデリオのバベルの塔の絵が好きだ。
 暗闇の中で浮かび上がる、死にゆく夕日を浴びて輝く廃墟の絵たちが。
 崩れ落ちる柱が。 
 亡者のような彫刻群が。
 紅蓮の炎を噴き出している繁栄の終末の図が。
 
 あえて意識して、こうした退廃のイメージを愉しむようにしておかないと、現実と切り離しておかないと、自分の日常生活が破たんしてしまうようだ。
 現実に破綻させつつあるんだけど。
 

今頃やっとわかった(ひとりごと)

 わたしは、自分自身で思っているよりも、ずっとずっと攻撃的で威嚇的な人格だったのだな、と初めてわかった。
 人生の半分以上を生きてきて、やっと今頃。
 はずかしながら、自分で自分のことを「わりあいに他人や周囲の人間関係に気を使うタイプ、短気なところはあるけれど、基本的には温和である」と認識していたので。ええ、笑ってやって下さい。

 この春3月以来、ずっと治まらないイライラに悩みながら。
 なにかしら、自分らしくない生き方をしているような錯覚にまどいながら。
 そして、そんなはけ口を子供たちのせいにしていて。

 ちゃうねん。ちゃうかったねん。
 このブログを書けなかったのも、コメントにレスできなかったのも、自分自身が歪んでいるのは百も承知の上ながら、どんなふうに歪んでいるのか、立地しているのがどこなのか、わかってなかったせいだ。
 自分のことをわかりかねてぐるぐるまわっていただけだ。

 わたしの中には火を吐く蛇が住んでいる。
 蛇だから臆病で陰でこっそりおとなしくしているけれど、それだけではすまずに火を吐いてしまう。
 そしてその蛇に火を吐かせてやらないと、私は自分に毒を溜めこんでしまうらしい。

 現実と区別をつけにくいようなリアルな夢を夜毎にみる。
 今は無い実家の側で炎上する豪邸を、子供の頃にハイキングした山の上から見下ろしている。
 震災で区画整理された後に建った大規模な団地の中に、昔風なスラムが形成されている。
 津波が襲ってくる夜、高層マンションの中の人口の川に海の魚が飛び込んでくる。
 破壊を伴う、それらの廃墟めいた光景は悪夢のはずなのに、私の目には不思議と美しく、懐かしく、好ましい。

 働いていた頃、友人にこう言われたことがある。
 「あたしら二人って、平穏無事な毎日やとだらけてダメになるよねー。なんかしら逆境になってくるとそれが楽しくてイキイキするタイプやね」
 思い当るフシがあったので同意して笑ったけど、笑いごとやなかった。本質的に戦好きな性分やったんです、彼女もわたしも。
 ただ彼女はオフェンスで、私がディフェンス、タイプはちがったけれども。

 火を吐く蛇を穏やかな日常で飼いならすのは難しい。
 でも蛇だから自ら攻撃には向かいません。
 となると、自分で疑似的な臨戦態勢を作らなきゃ、この日常の憂鬱からは脱却できそうもないな。

 やっと自覚できた。
 
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なかさん☆

Author:なかさん☆
鬱病回復途中。更年期障害。
長男自閉症。長女甘えんぼ。
家族総デブ。色々とやばい。


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