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透明なこころでありたい

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63年前の母(広島原爆投下時)

 今から17年前、まだ母がしっかりしていた頃に、原爆投下時の状況について綴った文章があるので、ここに転記します。母は当時16歳の誕生日を1ヶ月後に迎える少女でした。

 「私のあの日」

 (冒頭部省略)

 今ここに四十五年目を迎え、遠いあの日を振り返って見る。はっきりと覚えている。何も無い時代だったが、私は希望に燃える日本赤十字の看護生徒だった。
 その日、私は広島市の赤十字病院にいた。警報が解除され、ほっとした私はボタンを付けようと針に糸を通した瞬間、窓の外で物凄い何かが爆発した様に思った。どうなったかはわからないが気がついた時には、真っ暗な中に閉じ込められ、頭の上で足音がしていた。
 窓の側にいたのに、5メートル位飛ばされて扉がベッドに倒れた隙間にいた。どれくらいかはわからないが、随分長居時間が経ったように思った。腕時計は投下時刻で停まっていた。怪我は、手と足に気にもならない程度の切り傷。但し、これは五年余り完治しなかった。
 やっと誰かに助け出された時、何と糸を通した針をしっかり持っていた。後日友達に話して大笑いした。 明るくなった病院の玄関に行くと、当時入院中の、陸軍高官の子息に付き添っていた軍曹に声をかけられた。顔が黒人の様に真っ黒で大きくふくれ、目と唇の粘膜がめくれあがっていた。呼ばれても怖くて、「誰か呼んで来ます」というと、軍曹はその場で倒れて動かなくなった。
 次に見たのは、予防衣を被った上級生で、「どうなさいましたか」と声をかけると、顔はひどい外傷で一杯。どうしていいかわからず、座って貰い外科へ行ってみたら先生が倒れておられた。
 火傷の薬をつけて欲しいと言われたが、薬棚はひっくり返って瓶も我、硝子の粉だらけで薬はとても使用に耐えられる物ではなかった。そこへ元気な先生が見えられたので、バトンタッチー。
 私は崩れた院内を宿舎の方へ向かった。すると、比較的破損の少ない処で怪我をした生徒達が集っていた。仲良しが出血している手首を抑えていた。止まらないというので、カーテンを破いて来て、漸く何とかなった。
 病院で入院中だった軍医が、輸送車を使って外傷のある者の縫合を始めたので手伝う。
 麻酔も何もない。怖いなどと言っておられず必死だった。丁度出勤時だった為、日赤職員は被害が大きく働ける者は、僅かであった。各人各様のさまざまの惨い怪我、外傷、とても筆舌には尽くし難い。思い出すと、最も恐ろしかったのは、顔が斜めに裂け、割れてと言うべきだったろうか、今なら近寄る事すら出来ない様な凄い傷。日が経つと膝の傷にも蛆が沢山わいて来て・・・・・・よく耐えておられたが、何年か後に自殺されたと聞いた。
 何時間が過ぎたか、夕方だったのだろう、ぺっしゃんこになった宿舎の側を婦長さんが裸足で泣き叫んでおられる。周囲の建物は潰れたり焼けたりして、近くの川が見える様になり、橋の上は両方から来る人達で一杯だ。
 そのうち寄宿舎が燃え出し、元気な者は病棟で、火たたきを持って消化に当たった。雨が降り出したのはいつ頃だったか。防空壕に逃げ込み、友達と泣いたのを覚えている。
 玄関では、大勢の一般の怪我人や、火傷を負った人々が、「水、水」と言いながら倒れている。破裂した水道管からヤカンに水を汲み、顔や口にかけて廻る。すると殆どの人が、そのまま息絶えて行かれたのである。
 そして夜中、私も頭を打ったせいか熱が出て動けなくなる。患者さんが頭を冷やしてくれたらしい。もうろうとした意識の中、私のあの日は終わった。
 明け方、目が覚めるとカーテンの切れ端が顔の上に乗っていた。そして、多くの動かなくなった人々のなかに私はいた。もがくようにして私はやっと起き上がる事が出来た。
 その時から、また凄まじい日が始まる。あの日を思い出す度、鮮明に目に浮かぶのは、乳房の無くなった若い女の人の真っ赤な胸。よく写真を撮って貰った小父さんが酷い火傷の両手を庭の隅の木の枝に吊るして寝ていた姿。トタンの上に亡くなった友達を並べて火葬した事。色々ときりがない。
 もう決して再び、あの様な悲惨な事は断じて有ってはならない。人生も残り少なくなった今、クラス会で集まる友らと話し合っている。風化せぬ様、世の中に啓蒙して行かなくては、と。
 
 
   
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コメント
No title
忘れてはいけない、知らなくてはならないことを、よく書いていただきました。
ありがとう。
恐れず、逃げず、私自身ももっと学ばねなりません。難しいことではありますが。
2008/08/06(水) 20:11 | URL | せり #-[ 編集]
>せりさん
コメントどうもありがとうございます。
人間は自分の都合のいい言葉や考えに耳を傾けがちです。
芸術家なら、風景の中の不要なものを削り落とし、現実に無いものを加えて作品を仕上げてもよいでしょう。
しかし、真摯にありのままを見つめる勇気が今必要だと思い始めました。
2008/08/07(木) 11:44 | URL | なかさん☆ #LeJya1lg[ 編集]
No title
母上のおかきになったリアルな文章が胸にしみました。
戦争の相手は実験であったかもしれませんが、その下にいたのは人間です。

広島は何度も行きました。記念館にも…。最初は「嫌だ。」という思いだけでした。
せりさんがおっしゃるように、逃げず、恐れず考えていく必要があると思います。
2008/08/10(日) 14:48 | URL | ピノコッペ #-[ 編集]
>ピノコッペさん
コメントありがとうございます。
アウシュビッツ、カンボジア、考えたくもない、想像したくもない歴史の現実はバカみたいにたくさんあります。
人間という種はどうしてかほどに同族を殺戮したいのか・・・されど悲惨な状況下で何ゆえ崇高な行動が見られるのか・・・どう自分を納得させればよいのでしょうね・・・。
2008/08/12(火) 01:40 | URL | なかさん☆ #LeJya1lg[ 編集]
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Author:なかさん☆
鬱病回復途中。更年期障害。
長男自閉症。長女甘えんぼ。
家族総デブ。色々とやばい。


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