発達障害と診断され、知的障害が軽度~中度の子を持つ親が、一番悩むのが小学校の就学問題だと思う。
特別支援学校か特別支援学級か。
うちの息子は、幼稚園時代の知能指数が78で、ボーダー。
聾学校の幼稚部に通っていたこともあり、親は特別支援学校を考えていたけれど、医療機関や幼稚部の先生、また教育委員会の適合は特別支援学級だった。
そして息子本人が、地域の学校の特別支援級で学びたいという意思を持ち、当時の特別支援学級の主任が発達障害に親以上の知識と経験を持った方だったので、そちらを選択した。
6年間の小学校生活がどうだったかというと。
知能指数が伸びて平均知能に達した息子には、こちらを選択したのが正解だったと思う。
学習したいという意欲がそれなりにあり、何をすべきか指示が明確であれば集団行動にもついていけた。
ただし、息子は自閉の特性が強く、感覚過敏やパニック、不安からくるこだわりなどが強かったため、低学年の間は様々な問題行動を起こし、高学年になってからは周囲との軋轢が目立った。
ことに4年から5年にかけてのパニックが頻回で、当時の担任にかなりの負担をかけていたようだ。
特別支援学級に所属しているといっても、通常の小学校は定型発達の子のひな型にあてはめられる。
集団の論理は強い。
インクルーシブ教育、ユニバーサル教育というお題目を唱え、障害者差別解消法を施行しましたと言ったところで。
圧倒的多数の定型発達児(とそれについていけてる発達障害児)たちを集団で指導、教育するという場所である以上、学校側の考えが優先されてしまうのは仕方がない。
息子もなんだかんだ揉まれながら、学校ではそれなりに周囲に合わせた行動をとっているようだ。
家などのリラックスした場所では相変わらず怪しげな声を出したり、うろうろと不審な行動をとっているけれど。
(やっとこさ、人前での鼻ほじりをやめてくれた・・・:汗)
さて、先日。
病院のリハビリでOTの先生と居る時、幼稚園時代同じクラスだった友達と数年ぶりに再会した。
親同士、お互いの子どもの成長ぶりにびっくりして、OTやSTの先生ともども盛り上がったのだが。
何分子供らは自閉症同士、旧交を温め合うという方向には行かない。
逆に何やら恥ずかしいのか、リハ室に入って窓越しに変顔をする友達。
リアクションを特にするでもなく、ぼんやりしている息子。
私にはかつてのクラスメイトだったR君のその姿が衝撃的だった。
R君は、特別支援学校を選択し、そのまま中等部に進学している。
定型発達児に合わせた行動をとる必要は無く、自分の気持ちのありのままに行動していた。
幼稚園時代、R君は軽度の知的障害で、息子より1~2年成長が遅い子、というイメージ。
ああ、ちょっと前まで息子もあんな風なことをしていたな~、という感じで見ていた。
遊ぶゲームや読む絵本は違うけれども、大体似たような感じの二人だったのだ。
それが、久しぶりの再会でR君は自分の感じたままの行動をし、一方息子は自分の行動が他者からどう思われるかを考えてしまって、思考と動きを止めてしまっている。
集団に合わせるというのが身についてしまっていて、どう行動すべきか、他者のいる前ではとっさに自分の心を素直に表現できない。
誤解を恐れずにいうと、特別支援学校に通っている子らしく育ったR君と、一般の学校に通って周囲にとけこめた息子、という構図。
ただし、それが息子の幸福感につながるかというと、それはわからない。
今のところ、友達を気にしはじめ、周囲から浮かないように行動することを覚え始めたらしい息子は、中学に入ってからは殆ど問題行動を起こしていないようだ。
結局、それぞれの環境に合わせて子どもは育つ。
R君の、自閉症児らしさ満開の行動が認められる場所では、本人が傷つくこともなく過ごしていける。
逆に、自閉症児らしさを抑えて周囲に合わせた行動を求められる場所では、当人が傷つき苦しむことも多い。
本当に難しい問題だと思うが。
定型発達である親としては。
息子の将来が少しでも幅広いものであることを望み、周囲との軋轢を解消できる社会スキルを身に着けてほしいと思う。
けれども、そうして周囲への配慮に疲れ、本来の息子の能力を削いでしまったり、才能をつぶしてしまったのだとしたら。
どうにかして、自閉症児が自閉症児らしくあっても認められる環境が、もっともっと広がっていけばいいのに。
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